認知症の方や障害を持った方ができない“取り繕い”がちやほやされる社会はおかしい

(亀山)今、障害者の就労支援をさせてもらっていますが、作業をしてもらう過程で、最初はいっぱい失敗もする。

そのなかで得意分野があったり、この子はこれがすごいなっていうのが見つかっていって、どんどん作業の達人になっていってくれるって方もたくさんいるんです。

失敗しても良いんだよ、何かあってもとりあえずなんとかなるよっていう雰囲気ができてくれたら、障害者の自立にもつながるのかなって思うんですけども。

(和田)世の中には少しおかしなところがあって、障害を持っている人とか認知症の方って「失敗を隠せないから他人に知られてしまう」ってことがあるじゃないですか。

だけど、脳が壊れていない、脳が一般的な状態にある人って「ごまかせるからOK」になっているとこもあるわけですよ。

どっちが人として真っ当かって言ったら、ごまかせないで知られてしまって「失敗した人」って言われてるほうが、よっぽど”まとも”かなって。

結局、取り繕いみたいなことが上手な人だけがちやほやされる社会っていうのは、僕はおかしいって思っていて。

たとえ間違ったとしても、お互いにそこは「一生懸命やった結果だからしょうがないよな」っていうふうに思い合える社会じゃないと歪むかなって思うんです。

世界一やさしいレストランで談笑する和田行男さんの写真

「何が“注文をまちがえる料理店の理事長”や」って思うこともあります。人間ですもん

(亀山)注文をまちがえる料理店の影響が全国に広がっていて、「あ、“寛容で良いじゃん”って言ってくれる人が社会にはこんなにいるんだ」とわかってすごく嬉しかったんです。

ともすると、批判的な人や否定的な人の声が大きいので、そういう人の声ばっかり入ってきてしまう。

私たちも障害者や認知症の方の就労支援をしていると、「閉じ込めておけ」とか「危ないことさせるな」とか、そういう声ばっかり聞こえてくるんです。

注文をまちがえる料理店の活動を調べていると、「ほっこりした」というコメントがあったり、みんなの共感が広がったりしていますよね。

それを見て「あ、まだ世の中捨てたもんじゃないんだな」っていうことをすごく感じたんです。

(和田)注文をまちがえる料理店を始めるときに人を集めるんですけど、発起人の小国さんが実行委員の話を近山さんっていうクリエイターに持って行ったんですね。

その彼が“小国さん、モスバーガーは高齢者の就労を支援している”と。

“だからそこに高齢者が多いのはわかってた”と。

そこへ自分が食べにいったときに〇〇チリバーガーを頼んだんですって。

ところが出てきたものに、〇〇チリバーガーの「チリ」が抜けてた。

ウェイターさんが間違えて。

そのときに“「〇〇チリバーガーですよ」って言ったことがあって、すごく自分が情けないやつだと思った”と。

“そもそも高齢者が働いてるとわかって行ってるのに、間違えたことを咎めた自分が情けない”って言われたんだって。

僕にもそういうことがいっぱいあって。

先日、運転をしていると、前を車がトロトロ走ってたんですね。

“高齢者のマーク”がついてたから「しょうがねーなー高齢者は」ってついていけた自分なのに、次にトロトロ走ってた“マークのない”車の後ろについたときはブーンって追い越したんです。

そうしたら年配の女性の方が、必死な顔をして車を運転していた

「ああ、俺もダメだな」と思って。

「なにが注文をまちがえる料理店や」という思いが自分のなかに湧いてきたんですね。

おそらく注文をまちがえる料理店に携わっている人も、そこに来てくださってるお客さんのなかにも、大きくは“賛成”なんだけど、我がことになるとけっこう”ダメ”みたいな人もいっぱいいる。

僕はこうやって注文をまちがえる料理店で理事長の名前までいただいて、いつも話しているのは、自分のなかで「こんな自分でもま、良いか」って思うようにしないと、これに取り組むのはキツイなと。

これに取り組むのは“自分への戒め”みたいなものがであるんですね。

スッキリ「まあ良いか」と思えなくても、なんとなくこういうことを通じて「ここは寛大にならなアカンな」というふうに思える機会になったら良いかなと。

レジで高齢者がいて、必死にお金を数えてて、時間がなくて他のレジも詰まってるときに「早くせいよ」なんて思う自分、いませんか?

いるんだけれども、そこでなにか行動に出すとかではなくて、グッと抑えて“そういえば自分は注文をまちがえる料理店に関わってたな”みたいなね。

そういうことが大事なんじゃないかなって。

みんなそんな善人になれませんもん。