認知症を目指してきた人はいない。なりたいと思った人ではなく、なりたくない”皆さん”がなる
病気になりたいと思ってる人がいないなかで病気になるっていうのは、誰が一番つらいですか?
本人だよね。
本人が一番つらい。
どんな病気でもです。
虫歯、水虫、胃潰瘍、脳腫瘍、アルツハイマー、どんな病気でも本人が一番つらい。
僕は介護職の人たちに「本当にそう思えてますか?」とよく聞きます。
本人が一番つらいって、本当に思えているか。
認知症の方は何度も何度も同じことを聞いてきたりします。
あるいは、食べられないものと食べられるものの区別がつかなくなって、葉っぱを食べたりとか、うんこを食べたりとか、そんな状態になる。
非常に粗暴になって、誰彼なく叩いたりするような状態にもなる。
そんなはた迷惑なことが起こるんですけど、どんな状態であろうが、それを目指してきた人はいません。
みんなそれに、なりたくないと思ってる。
つまり認知症っていうのは、なりたいと思った人がなってるわけじゃないんです。
なりたくないと思ってる”皆さんが”なるんです。
それは皆さんにとっても一番不本意なはずですよね。
自分の意思とは関係ないものを提供される介護現場は、もはや動物園
そのうえでなおかつ自分にできることがあるのに、させてもらえないんです。
今の介護保険制度もそうですけど、自分にたっぷり能力があるのに、その能力を使わせてもらえるような環境作りにはなっていません。
いろんなものが提供型になってますね?
飯を提供してくれる、掃除もしてくれる。
自分にたっぷりできることがあるのに、やる環境がない。
そういうことをずっと考えてきたので、東京にいる頃から、本人が自分でできることを本人自身がやれるようなデイサービスをずっと展開してきました。
例えば、管理栄養士が特別養護老人ホームに配置されると、そこに入居されている人も、そこに通われている人も、献立からおやつまで全部決められちゃうんです。
つまり、本人の意思とは関係ないものを提供していくわけです。
僕はそんなのはおかしいと。
食べるものっていうのは基本的に、自分たちの意思が反映されるんだと。
簡単に言うと、介護現場は動物園です。
動物は自分の意思とは無関係に何かを提供されることがいっぱいあるわけです。
認知症の方は何を買ったか忘れちゃうけど、買いに行くことを省いてはいけない
人も同じで、たっぷりと自分の能力があるにもかかわらず、それを発揮する場所がない。
だから僕のデイサービスでは「おやつは出すな、金をよこせ」ということで、お金をもらって街へ買い物に行く。
買い物に行って街で自分で食うものを買ってくる。
認知症の方の場合は楽しいですよ。
これが良いとかあれが良いとか全部選んで決めて持って帰ってくるんだけど、持って帰ってきたときには何を決めたか忘れてますから(笑)。
何を食っても一緒、っていう話になるわけです。
そうすると、「何を食っても一緒なんだから、買いに行く必要ないんじゃないの?」っていう意見が出てくるわけですね。
でも、「何を選んだかわかってないから最後は何を食っても一緒。そういう状態だから”買いに行って選ぶことを省いて良い”」っていう話とは違う。
あるいは、”自分が今日、何をするかを自分で選択できる”ということも同じ。
皆さんは今日、どの服を着てくるかを自分で選択したはずです。
そもそもが、皆さんの服は洋服ダンスに入っていると思うんですけど、それは市場で選択して買ってきていますね?
「どれにしようかしら~」と言って買ってきたものタンスにしまって、「今日はどれを着ていこうかしら~」って選択して着てくるわけです。
「選択ができる」っていうのはとても素晴らしいことなんだけれども、介護現場ではそれを奪っちゃう。
そんな、人としての暮らし方ができない状態にされちゃうっていうことに対して、ずっと疑問を持ってきたんです。