

取材・文/中村淳彦 撮影/編集部
隔てた壁を壊し、ご利用者や地域の方も共有できる場を設けた(馬場)
中村 この数年、介護業界の経営者やリーダー的な多くの方々が「介護職が地域のデザインをする」みたいな話をよくしている。なんかデザインって言葉が抽象的で、正直ピンとこない。馬場さんが考える介護職が手掛ける地域デザインとはなにか、まず教えてほしいです。


馬場 今までのうちの施設は壁があって門があって建物がある。例えば文化祭をする際など、今までは壁際に出店してご利用者に向けて開催していた。施設に向かって立っていた。すなわち地域に背をむけていたんです。「ご利用者に楽しんでもらおう」と。それが今までの僕らの正義だったわけです。それを単純に反対向きにするわけです。
中村 壁を取り払うことによって、地域に向かって出店することができる。参加する高齢者は、一度地域に出て、同じ地域住民として一緒に楽しもうとなる。もしくは、出店側として住民を楽しませる側にもなり得ると。なるほど。


馬場 従来の文化祭では振り返ると壁があって、その向こうに地域の人が歩いていた。地域の人はイベントがわからない。すごく視野を狭めていた。だったらご利用者だけではなく、地域向きになにかを仕掛けて、地域の人もご利用者も一緒にその場を共有してもらおうと。そういうイメージですね。
中村 共通の場所があって地域の人と高齢者が交流するだけでケアになりますね。介護職が自分たちだけでケアが成立するとは決めつけず、地域を巻き込んでいくってことか。しかし、介護とか福祉がかかわることは多くの場面において、とにかく魅力が感じられない。つまらないことからは人は離れていきます。


馬場 みんなお客様のためと言うけど、それはお客様にならないとわからない。例えば誰でも買い物に行けば、お客さんの立場で行ける。逆さの体験ができる。けど、困ったことに介護はお客さんの立場に立つことができない。高齢になり、要介護状態にならないと、お客さんの立場にはなれないわけですよ。だからこそ想像力や、より客観視することが求められる。
中村 高齢者の立場より、地域住民の立場のほうが想像しやすい。単純に自分が地域の祭りに遊びに行くなら、なにが楽しいかってこと。問題あるかもしれないけど、神社に習って特養にプロのテキヤさんとか呼んじゃってもいいかも。たぶん地域の人は集まって超活気がでますよね。

ただ教科書通りの介護では危険であり、高齢者の立場を理解することはできない(馬場)

馬場 在宅サービスを受ける立場になったら、歩くとき必要以上に手を引くことは煩わしいかもしれない。転倒リスクがあるって歩行介助するけど、その意識がマイナスに向かうことがある。本来リスクを避けたいなら、四六時中ずっと手を引かないと安全は担保されないわけで。箱の中だけでリスク回避の介助を提供して、タイムカードを切ったら終わりではあまりに無責任。だって仕事としてのケアはタイムカードを切れば終わるけど、その人の生活は自宅に戻っても続くのだから。
中村 そのような一歩踏み込んだ話は、改めて聞くと確かにと思う。介護職が目の前の高齢者の介助に一生懸命になるのは普通のこと。けど、時として介護施設における普通のことは、俯瞰すると決して正しくない。一歩踏み込んで俯瞰して考えるには、経験とか環境が必要ですよ。


馬場 そういう気づきを与えるのはリーダーとか経営者の役割でしょう。高齢者の立場に立つことなく、ただただ教科書通りの介護をするのは、すごく危ないこと。一種の思考停止なので職員の成長も、サービスのクオリティーや自立支援という観点もそこでストップしてしまうリスクがあると思う。
中村 一生懸命やっている現状の中で、第三者が働きかけて意識を変えさせる。さらに一段思考を深めることはとても難しいと思いますが、馬場さんの施設では職員になにをしているのでしょうか。


馬場 専門的な勉強会は手堅くやってはいるけど、それだけではダメですね。介護に直接関係のないゲストを呼んで話を聞いて、それをレポートにするとか。この前は職員と建築展に行って、空間の在り方を考えた。人間はなぜそこに座るのか?どうして椅子があると腰かけるのかみたいなことはバカみたいに真剣に考えましたね(笑)。
中村 ちょっとレベルが高くて難しい。全員が全員理解をするわけでなく、長期戦覚悟で介護とは別視点の刺激を提供するってことですね。


馬場 例えば空間の在り方を福祉的に考えると、人的支援のみならず環境支援というものがある。人ができることにも限界があって、緑がある部屋とない部屋では人はどう変わるのかみたいなことを、結論をだすのではなく、そのファクターを考える機会を持つわけです。これは決して茶番ではなく高齢者を単にケアの対象ではなく、専門家として目の前で起きているシーンにどう興味を持てるかというか。ある意味専門職としての研究対象としての目は必要です。
中村 介護現場でありがちなのは、入浴。認知症高齢者の入浴で熱くて一生懸命な若い職員が声かけしても断固として拒否だったのが、おばちゃんの一声だけですんなり頷くみたいな。


馬場 そういう不思議な場面に遭遇したとき、おばちゃんはどう声かけたのかとか、何時にとか、カーテンが空いていたのか閉まっていたかとか。あらゆる視点から考えると面白いわけです。そう思考を広げて考えてくと、ケアってもっと面白くなるんだと思う。
視覚から得られる情報で、自分のやりたい仕事を見つけ出す(馬場)
中村 馬場さんは一昨年「職場改革で実現する 介護業界の人材獲得戦略」を書かれています。そのような地域のデザイン、日常のケアを思考することで仕事が面白くなり、人材獲得に繋がってくるわけですね。


馬場 人材獲得戦略はそれらに加えて、もっと細かく幅広く考えました。前編でも話にでましたが、介護業界はとにかく他人に見せることが雑で下手。どこの事業所も広報物があるけど、写真の撮り方、選び方、その使い方とか。ホームページも。転職した当初、ちょっと雑すぎると感じました。
中村 カラーコピーとかで配布する事業所の広報物ですね。手描きのものはたまにいいのがあるけど、ほとんどがワードとかパワーポイントで適当に作る。写真とデザインは基本的にヒドイので、関係ない一般の人の目に留まることはないでしょう。


馬場 そうです。例えばお祝い会があって、座位がしっかり保てず、体を斜めにして車椅子に座る高齢者がちゃんちゃんこ着て、その横で介護職が笑ってピースみたいな写真。当然僕らはパーソナリティを汲んでいるから「いい写真」と思えるかもしれないが、それを他人が見たときにどんな印象に映るのか?ということは客観性を持って冷静に見る必要はあると思う。それを広報紙として地域に発信するのなら尚のこと。
中村 それは職員と家族のための記念写真で、人に見せるものではない。その極めて私的な記念写真をなんの疑いもなく、地域に何百枚もばら撒いてしまう。読者の立場に立っていない、自己満足の典型例ですね。


馬場 ファッションブランドと比べるわけにはいかないけど、表参道の一等地にある看板って一枚に年間数千万かけている。費用対効果は定量的に測れないにしても、そこまでしてやっと保たれるのがイメージというもの。十分いいイメージを持たれているブランドでさえ、そういった部分に投資しているのだから、むしろ私たちはもっとセンシティブに、そこを蔑ろにしてはいけないということ。
中村 介護業界は、プロモーションに関して「介護」という社会性に甘えている印象。社会のために頑張る笑顔の介護職や高齢者は、多くの人が受け入れてくれる、わかってくれるという前提がある。それは勘違いした性善説で、楽しい写真じゃないと誰も楽しいと思わないし、関係性を切り取るような魅力的な写真じゃないと本来の魅力なんて伝わらないということ。


馬場 その看板を見て洋服を買うわけじゃなく、看板を見た人たちがそのイメージを作る。その“イメージ”に投資をしているわけです。費用対効果はわからないけど、イメージ作りは大切というプロモーションの観点から眺めれば、介護施設のカラーコピーは真逆の効果しかない。
中村 介護業界がプロモーションをすればするほど、人材獲得どころか人が逃げていくという最悪の連鎖に……。


馬場 広報物を作る私たちは、高齢者を花見に連れていくことが目的になってしまいがち。だから、その写真を目にする一般の人の立場に立てない。同僚と家族にだけ通用する記念写真を撮るのはいいけど、それを第三者が眺める広報誌の表紙にしてはまずい。「私たちは一生懸命福祉をしています!」と。それで人が集まらないって嘆くのは少し違うと思う。
中村 人材獲得できない大きな理由の一つが、なんと介護事業所や公的機関の逆効果のプロモーションとは(笑)。この事実に気づく介護関係者は少ないでしょう。ただ、要高齢者の写真はかなり難しい。基本的にモデルは悪いから、写真の知識があって時間をかけて枚数を撮らないといいのは撮れない。


馬場 リアルな要介護高齢者の写真というのは、基本的には表に出すものではない。別の意味でもっと大切に扱うものなんです。世の一般的な広告はモデルをオーディションして、アートディレクションしているわけです。人材獲得をプロモーションの観点で考えた場合、中学生がそれを観たときに介護の仕事をやりたいと思う、そういう写真を撮らないといけないわけで。その視覚的情報を真面目に考えることです。
中村 介護関係者から、その普通の意見を初めて聞きましたよ。あと職員紹介もヒドイね。介護職のおばさんとかおじさんを、当たり前のように掲載するし。自分が一緒に並んで載りたいとは、誰も思わないだろうなぁ。


馬場 そう、それも同様です。美男美女であるべきということではなく、その写真一枚一枚に彼、彼女らのベストショットを、もう少し追求してあげる必要はあるはず。それも雑に扱っては中村さんの言うように逆効果です。
本質的な内在しているものを顕在化させるには、自分たちの仕事にポリシーを持つべき(馬場)
中村 馬場さん達が監修された「介護男子スタディーズ」はクオリティー高くて驚きました。あまりにカッコいい写真と読み応えあるテキストが多くて、誰が作ったの?クレジットには社会福祉法人が20社。出処はどこ?って。介護関係者でこんな編集能力が高い人がいるのって驚きました。


馬場 あれは、企画に関わった社会福祉法人が問題意識を持って取り組んだ成果物。商業的ではなく息の長い書物にする必要があったので出版社を挟まずにあえて完全自費出版にした本です。制作にはプロの写真家と編集者やアートディレクターを交え、制作会議を1年弱かけてやりました。
中村 社会福祉法人の上層部が変わったって、よく聞くけど納得しました。厚生労働省が出版前にプレゼンの場を与えてくれたとか。介護人材獲得が国のお題になっているなら、あの本にかかわった介護関係者が制作物とか人材獲得の研修したほうがいいですよ。お堅いイベントやるより、全然効果があるはず。


馬場 プレゼンの場では、全国の都道府県の担当者が一同に会した場で趣旨を伝えました。いくつかの県は県内全高校の図書館に設置してくれたり、大学のキャリアセンターに置いてくれたりしました。
中村 あえて「介護男子」というキャッチーなタイトルにしながら、学者からクオリティー高い文章を集めていてヘビーでしっかりした読み物になっていた。マジですごいなと思いました。


馬場 でも客観視しようと思っても、うちの利用者さんの写真だと、どれだけ客観視しようと思っても可愛く見えちゃう(笑)、つい。自分の子供が可愛いのと一緒。どうしても外の目が必要。だから介護の人たちだけで、良いモノを作ることはできない。これは断言できます。
中村 一昨年、厚生労働省が介護人材確保を掲げて、多くの介護関係者や公的機関が人材確保と言いだした。みんな言うばかりで、結果がともなっていないし、モヤモヤしていたんですよね。


馬場 やっぱり上に言われてやっているだけだから、薄っぺらい軽薄なデフォルメに走りがち。そうではなくて、“本質的な内在しているもの”を、顕在化させてしっかりと見せる。意識を持ちながら、しっかりとした制作物にして見せ切る。まず、それに尽きますよ。繰り返しになりますが、これは決して茶番ではなく、自分達の仕事に対するポリシーを持つことだと思ってます。
中村 介護の魅力は、もうみんなわかっていること。意識の薄い予定調和は人材獲得どころか、人材離れを生むってことですね。なるほど、本当にその通りですね。今日はありがとうございました。
