

取材・文/中村淳彦 撮影/編集部
施設と地域を隔てる壁を壊したのは、ベルリンの壁を意識したパフォーマンス(馬場)
中村 馬場さんは神奈川県愛川町の社会福祉法人愛川舜寿会ミノワホームの常務理事です。元アルマーニジャパンの社員という経歴で注目され、「介護男子スタディーズ」「介護業界の人材獲得戦略」など著書があります。活発に動かれていますね。


馬場 アルマーニ青山店などにいました。34歳のとき中途退社して、家族が経営する社会福祉法人の後継者として入社したんです。アルマーニでは店長まではやらずに、その下のチーフという肩書きで終えましたね。
中村 ミノワホームといえば、昨年夏に派手に施設のコンクリートの壁を壊していた。写真と記事が拡散されて、馬場さんや職員の方々、地域の介護関係者がハンマーで壁を壊す姿を見ました。インパクトありましたね。


馬場 うちの社会福祉法人は25年前に建てられました。僕は2代目の経営者。施設は壁で囲われて、入口に重厚な門があった。当時は誰も不思議に思わなかったその壁も、ケアのパラダイムシフトによって不要なモノに変わったという経緯があります。そもそも介護施設って地域の中にある。壁という物理的な隔たりを自ら作っているのに、地域の方々に施設に来てください、いつでも遊びに来てくださいとか、発言する自分達に違和感があったんですよね。
中村 誰も介護施設に遊びに行く理由がないし、しかも重厚な壁があれば近づきたくない。その前提があるのに「遊びに来てください」は不自然ですよね。行く人のほうが変ですよ。


馬場 だから地域の人たちとの隔たりをなくすには、どうすればいいか考えました。壁を取り払い、庭とそのデッドスペースを地域に開放できるような、あるいは地域の誰もがアクセスできるような場所にできないかって思った。ささやかだけど、そのような空間を作れば多少は地域との隔たりが払拭して、なにか日常の偶発的な関わりが自然発生するのではないかと。
中村 壁を壊す半年前。去年2月に建築家の方や日本工業大学、東海大健康科学部の学生たちが集まって「特養と地域との距離を縮めるプロジェクト」をスタートされています。


馬場 建築家と大学生、それとうちの職員たちでワークをして、どんな庭がいいかを議論しました。去年6月にデザインが決まって、さあ動こうってときに津久井やまゆり園の事件が起こった。あそこはうちから車で20分くらい。自分も、亡くなった方のお通夜に参列しました。うちのご利用者のお孫さんが被害者だったりして、関係があった。壁を壊す計画の最中に、防犯強化の流れがきてしまったわけです。
中村 津久井やまゆり園は僕も献花に行きましたが、田舎に地域を代表するような立派な施設でした。報道を眺めても、しっかりした運営をしていた、という印象でした。事件が起こったあと、行政や国は安全管理、防犯強化を言いだした。


馬場 補助金をつけるからビデオカメラを増設しろとか、セキュリティー強化しろとか、僕らがやろうとしていることの正反対のお達し。職員の中には国の方針に逆行することへの反対意見もあったけど、地域の人と繋がって、地域の人たちとの信頼関係をセキュリティーにするという選択をしたわけです。
中村 それで派手にハンマーで壁を壊したわけですね。


馬場 ベルリンの壁を意識したパフォーマンスですね。自分たちの思想を行動にした。僕らのこれからの意志表明。庭を作っていくけど、まずその前に壁を壊すことに意味を持たせたわけです。行動自体はまあ、ちょっとふざけながら楽しんでやりましたよ。向かいのガソリンスタンドの店員さん達は笑ってました。
中村 あの事件を受けて現状でさえ厳しい状態にある介護職をさらに窮屈な状況に追い込むことは、僕は大反対で、馬場さんのパフォーマンスには胸を撫でおろしました。地域の人、行政の反応はどうでした?


馬場 ネガティブな反応はありませんでした。ポジティブな意見ばかり。近隣の方々からは、方言かわからないですけど「せいせいしたね」って。街の反応はすこぶるよかった。行政の人たちにも僕らの思想的な部分はなんとなく伝わったようで、なにも言われていないです。
中村 まあ、監視カメラつけろというのは、行政の人も厚生労働省からの通達だろうし。行政の安全管理、防犯強化も、単なる立場的なパフォーマンスってことか。馬場さんは地域と繋がることにこだわっています。どうして地域と繋がることが必要なのでしょう。


馬場 1つは地域包括ケアシステムとか、地域のあり方を問われる中で、地域住民が介護を知る機会がないこと。介護施設のご利用者とか、津久井やまゆり園で被害にあった人が、どんな生活をしていたのか、ほとんどの人はわからない。その人たちや生活を見せるというと、言葉が強いけど、多様性を社会に開示するというか。そういった風景を隠さず目に入るようにしていくことは、すごく必要だと思っています。
中村 介護の世界は、利用者のプライバシーとか個人情報という名のもとに隠してきた。みんな個人情報にはやたら敏感だし。確かに見せない、隠すことがベースにある現状で、地域包括ケアシステムの構築は難しいでしょうね。


馬場 関係のない人に対してバンと見せるのは、乱暴。だから地域の社会福祉法人である僕らが間に入って、地域との関係性を構築した上で、介護と住民をつなぐ役割をしていかないとなにも前進しないと思っています。
地域住民との交流を行い、関係性を縮められる(中村)
中村 地域との関係性にこだわるのは、介護と地域の関係を連動させることは社会福祉法人の大きな役割だと。それと介護職がどのような仕事をしているか、ほとんどの人はわかっていないですね。


馬場 もう一つの理由は、介護職たちの仕事が見える化されていないこと。当然、身体介助や排せつなど介護には見せられない部分と見せれる部分があるのは確かです。でも、例えばうちの特養の庭にはシクラメンがあるんですが、栄養が花にまわるように間引くことを利用者が教えてくれた。介護職が教えてもらいながら間引いていた。ふとその風景を引きで眺めたとき、客観的にすごく美しい絵だった。
中村 壁をなくしたことで、地元住民が生活を目撃する。良いも悪いも見えてしまいますが、地域との関係が縮まって見られることで、多くのことは好転するでしょうね。壁の中に監視カメラを増設し、さらに委縮させるより、いい方向に行くのは明らかですね。


馬場 街の人たちが介護職と高齢者の関係性みたいなのを目にしたとき、少しずつ介護の仕事が見えるという期待はあります。うちの近隣だけでもグラデーションになって、見える化ができないかという試み。しかし、介護関係者が集まると、“高齢者のために”って視点ばかり。一人称で想像する“高齢者の立場に立って”という視点が必要なんです。現状を眺めていると、介護関係者だけのアクションには本当に限界がありますね。
中村 多くの介護関係者は多様性がないし、視野が極端に狭い。馬場さんはファッション界、僕は出版出身で、介護とは正反対の世界を知っている。まず、介護の人たちは他人に魅力を伝えることを甘く見過ぎている印象がある。


馬場 本当にそう。今のままでは、基本的に無理。高齢者の生活をよくしようと思ったとき、ソーシャルワークとかケアワークの視点のみで話し合ったところで生活は創れない。なぜならサービスを受ける高齢者はそもそも地域で暮らしてきた人で、もっと多様な人生を歩んでいるわけで。
中村 介護に様々な人が入ってきても、当たり前のように能力を無視するか、潰してしまっている。一般的に画一的でつまらないイメージがあって、公的な機関ならば仕方ない部分はあるけど、民間までそのつまらないイメージに足を引っ張られている。今の環境で魅力を発信するのは無理でしょう。


馬場 人間って、もっと複雑で多様。多角的で重層的にケアするという視点がないと、その人の生活というのは作れない。だから、うちでは介護職たちに多様性を持たせるため、外から介護に直接関係のない人を呼んで学ぶ時間も作っています。例えば北極冒険家とかカメラマンとか、イラストレーターとか。そこには地域の人も交えて。
中村 庭のプロジェクトでも建築家、造園家、大学生を呼んでいますしね。当たり前だけど、介護職や介護関係者では気づかなかった視点がでてくる。多くの介護関係者は、介護関係者としか会話をしない。それはよくない。自分からアウェーに出て行かないと、なにも進展しないですよ。


馬場 イラストレーターと議論すると、お年寄りの手の皺がいいね、とか僕らが考え付かなかったような話になる。そうか、そうみえるのかって気づきます。高齢者に関して、僕らの目は局所的になりがち。そうしないと専門性は追及できないけど、一方でフレッシュな風を入れていかないと、本質的で新しい介護の言語化はできないです。
別の観点からの考え方で、自分たちの仕事は社会の中で価値があると思うべき(馬場)
中村 しかし、ファッションの華やかな世界から、介護の閉じられた世界によく転職しましたね。仕事はまあいいとしても、問題は人材。偏差値65から偏差値35の学校に転校するみたいなこと。それをどう切り抜けて、プラスに持って行ったのか聞きたい。


馬場 まあ、それはありました。示す立場なので、やっぱり彼らの社会的視野を拡げるというか。もう少し社会学とか哲学とか芸術とか、多角的学びが介護には必要じゃないかって感じましたね。最初は介護を学ぶために研修に行ったけど、本当に身になる研修が少ないと思う。
中村 介護技術的なこととか。美辞麗句満載の自己啓発ですよね。研修講師はさらに上のなにかに洗脳されているから、もう手に負えない。


馬場 技術的なことは必要で担保だけど、もっと技術以外に目を向ける必要がある。僕はサービス業をずっとやってきて、お客様の生活とかライフスタイルとか、背景をとことん汲んでコーディネートをしてきた。介護の人たちより、もっと貪欲にお客さんの生活に入っていった感覚はあった。
中村 介護業界は箱の中で介護をやって、タイムカードを切る間だけの仕事になっている。24時間、生活を作っている。本来はそんな時間で割り切れる仕事じゃないだろうってことですね。


馬場 それと3Kとか、ツライ仕事ってよく言われるじゃないですか。大変だね、偉いねとか。自分たちの仕事とか価値を言語化せずに、いろんなマスコミの情報によって大変な仕事って思い込んじゃう。ちょっとそれが先行しちゃっているな、とは思います。社会には一見華やかに見えてもキツい仕事が他にも山ほどある。
中村 大変ですねって言われて困るのは、みんな言うことですね。僕が介護経験したのは小規模施設だったので、全然大変ではなかった。なので、よくわかります。研修の話がでましたが、どういう研修が加わればよくなるのでしょうか。


馬場 うちの特養でも80名くらいの社員がいる。街の小さな企業。組織です。介護技術に比べて、マネジメント研修が超適当だなって印象。内容は予定調和で無難で、綺麗なことばかり。それこそ職員の多様性とか、彼らの成熟度に合わせたものでなければ、彼らにはわからないし、届かない。そういう研修があまりにも多い。
中村 簡潔にいえば“つまらない”ってこと。予定調和で無難なことしか言わないなら、家で漫画でも読んでいたほうがいい。


馬場 最近、講演を依頼されることが増えました。たまたま異業種からの転職なので、介護とまったく関係ない話をします。介護とファッション業界は重なる部分があって、異なる視点から重なる視点を提供すると介護職たちに新しい気づきになっている手応えはあります。
中村 目の前でケアする高齢者にはそれぞれ人生があって、その後ろには地域で生きる息子とか嫁がいて、孫がいる。介護職という存在は地域を助けている。ファッションはお客の背景を踏まえてコーディネートをすることで、その人の人生が好転するみたいな。


馬場 目の前の高齢者の様々な背景が点になって、繋いでいくと街を支えている現実が見える。介護の人たちは、とにかく俯瞰できない。それは経営者の責任でもある。ただ優しいとか、思いやりがあるとか、そうではなく、こう考えると自分たちの仕事は、社会の中で価値があると。そう思いませんか? みたいなことは講演でよく訴えていますね。
中村 自分たちの仕事が社会に発揮されていることを理解しないと、嫌になってしまう。客観視することは大切ですね。後半も引き続きお願いします。
