「介護対談」第5回(前編)ノンフィクション作家の中村淳彦と介護福祉士の杉本浩司氏の対談

杉本杉本浩司
高校を卒業後、介護の専門学校に通うかたわらでモデル活動を開始。雑誌モデルやファッションショーなどで活躍するも、21歳で介護一本に専念。「毎日、散歩するデイサービス」を標榜するデイサービスを日本で始めて実現するなど数々の実績を評価され、介護福祉施設「ウエルガーデン伊興園」の施設長に就任。常に90%以上の入居率を維持するなどここでもその実力を発揮しており、一方で、自立支援介護の普及のため全国の介護施設や大学で講演を行うなど精力的に活動している。
中村淳彦中村淳彦
ノンフィクション作家。代表作である「名前のない女たち」(宝島社新書) は劇場映画化される。執筆活動を続けるかたわら、2008年にお泊りデイサービスを運営する事業所を開設するも、2015年3月に譲渡。代表をつとめた法人を解散させる。当時の経験をもとにした「崩壊する介護現場」(ベスト新書)「ルポ 中年童貞」(幻冬舎新書)など介護業界を題材とした著書も多い。最新刊は、介護福祉士や保育士も登場する「熟年売春 アラフォー女子の貧困の現実」(ナックルズ選書)

取材・文/中村淳彦 撮影/編集部

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“介護で一番”と言ったって、何が一番なのかわからないし。だから僕は、目の前の仕事で結果を出していくことから始めました(杉本)

中村 杉本さんといえば、「日本一かっこいい介護福祉士」として有名です。知り合いの若い介護福祉士の男の子も、“杉本さんに憧れている”って絶賛していました。元々、ファッションモデルだったんですよね。

中村中村
杉本杉本

杉本 事務所に所属していたわけじゃないし、たいしたことないです。小さなショーに出たり、雑誌に出たりと、ちょっとやっていた程度で…。今の社会福祉法人には新卒で入職して、モデルをやっていたのは介護職1年目のときですね。当時は、ファッションモデルで一番になりたかったんです。

中村 18年くらい前ですか。女の子のファッションモデルは身長低い可愛い子も出てきたけど、当時は身長とかうるさかったのではないですか。女の子も最低170㎝みたいなラインがありました。

中村中村
杉本杉本

杉本 僕は179㎝しかないんですよ。オーディション会場に行くと、最低ラインとして180㎝のラインが引いてあったりするんです。オーディションはカラダの線を見たいから、ぴちぴちのタンクトップに超ホットパンツみたいな変態みたいな格好させられて…でも、まず身長で弾かれるから厳しかったですね。

中村 メンズノンノ専属モデルのオーディションで約5,000人の応募者の2、30人まで残ったそうですね。ファッションモデルは、特徴がありすぎる顔の人が選ばれたりしますよね。目が離れているとか、頬骨がでているとか。

中村中村
杉本杉本

杉本 そうです。結局、彼らが残るんですよ。特徴のある人には勝てないって思いました。一つの転機になったのが、ある女性の一言で。レセプションパーティーの席で綺麗な女性の方を紹介されて、「君はモデルの世界では一番になれない」って言われたんです。
それまでの僕は、自分がスポットライトを浴びているのが気持ちよかったんですが、その人に「だったら、邪魔者扱いされてる高齢者にあなたであればスポットライト浴びせられると思う」って。その言葉を聞いて体中に電流が走りましたね。で、その日でモデルは辞めて、介護で一番になることを目指したんです。

中村 杉本さんは一番にこだわられています。特に男性はその意識は必要と思っていて、やっぱり“勝つ”成功体験がないと仕事を継続するのは難しい。しかし、介護の世界はなにが「一番」なのかわかりません。百数十万人の同業者がいるし、公的な部分もあるので好きにできない部分も多い、環境的に“勝って”抜けだすのはかなり厳しい職業ではないでしょうか。

中村中村
杉本杉本

杉本 おっしゃる通り“介護で一番”って考えたとき、どうすればいいのかわかりませんでした。なにをしたら一番なのかもわからないし、同じ仕事をしている人も多い。でも、いくら悩んでも答えは見つからないので、まずは目の前の仕事の一つひとつで結果を出していくことを心掛けました。

中村 なるほど。目の前の仕事で結果を出して、同期の中で一番になり、施設で一番になり、地域で一番になる…みたいな階段を上がる考え方ですね。介護職の、特に若い男性職員でなにか自己実現したいって思っている人は多いだろうけど、「勝つ」ことは一つのキーワード。人と同じことをしていたはだめですね。

中村中村
杉本杉本

杉本 一つひとつ結果をだせば、認めてくれる人はだんだんと増えます。噂は勝手に広がる。チャンスが増えてくるわけです。僕は自立支援をやっているので、結果をだすというのは爺ちゃん婆ちゃんが元気になっていくこと。その結果を1人でも多くの人に伝えて認めてもらう、という作業です。

中村 「結果をだして第三者に評価をされる」までにならないと、“勝つ”という観点では意味がない。コツコツと結果をだして待つか、自分から仕掛けるか、それはぞれぞれのやり方ですね。

中村中村

経営ができる、マネジメントができる、実践力がある、結果をだせる。それが「日本一の介護福祉士」の条件かと(杉本)

杉本杉本

杉本 あとはモデルを辞めたとき、「日本一の介護福祉士になる」って決めています。

中村 介護福祉士は118万人の登録者がいます。これは石川県の人口と同じくらいですよ。例えば石川県で一番となると、壮大です。プロ野球選手になるより難しいかも(笑)。

中村中村
杉本杉本

杉本 日本一の介護福祉士ってなんだろう?って、ずっと思っていた一つのテーマでした。今まで「杉本君は、日本一の介護福祉士かも」って言われることはあった。でも、それはその人の主観の話で、たぶん日本一の介護福祉士と呼ばれる人は、日本に1,000人くらいはいると思ったんですよ。

中村 1,000人いるとなると、まだまだですね。1,000人までに入れたらプラスなにかを合わせると、一挙に2、3番になったりする。例えば介護で1,000位以内の中で、さらに歌が超うまいとか、芸人並に面白いとかで、それくらいになるかも。

中村中村
杉本杉本

杉本 そうですね。自分が日本で2、3位以内だろうくらいの意識があったら、さらなる上を目指せますしね。僕の場合は3年前に大きな転機がありました。
厚生労働省が介護福祉士の上級資格で「認定介護福祉士」って資格を作っていて、制度設計する委員に大学教授とか、厚労省の官僚とか、20人くらいの方々がいたんです。そこである先生が「認定介護福祉士の像に合っているリアルな人がいない」って言いだして、リアルなビジュアルイメージを探してその人に幹事に加わってもらおうってなったそうなんです。

中村 イメージに近い当事者に制度設計する委員に参加してもらうって話ですか。へー、資格ってそうやって出来ていくんですね。

中村中村
杉本杉本

杉本 先生方が推薦をした介護福祉士が5人くらいいて、僕は候補に入ったんです。1対20人で2時間くらい面談をして、質問責めにあって、その中の1人が選ばれて幹事に入ることになるんですけど、それが僕だったんです。

中村 すごいですね。118万人の介護福祉士の中から選考があって選ばれるって、マジの日本一じゃないですか。

中村中村
杉本杉本

杉本 そうです(笑)。20人の先生全員が僕だって言ってくれたらしくて、そのときは本当に嬉しかった。今じゃもう、講演のネタにしていますよ(笑)。僕は118万分の1に選ばれた「日本一の介護福祉士」って。経営ができる、マネジメントができる、実践力がある、結果をだせる、リーダーシップがあるみたいなことが評価されたようです。

僕が作ったデイは、雨でも雪でも散歩に行く。どうして高齢者は適温のときしか外出できないんですか(杉本)

中村 杉本さんは専門学校を卒業して、新卒で現在の社会福祉法人に就職されています。当然、最初は一介護職ですよね。心の中で野望を秘めながら現場で介護されていたのですか。

中村中村
杉本杉本

杉本 正直、最初は経営のことはどうでもよかったんですよ。介護福祉士として就職して…当時の介護というのが、汚い言葉を使うと、クソみたいだったというか。「これって介護福祉士じゃないよね?オムツ交換、入浴介助、食事介助の繰り返しだし」って、そればかりだった。

中村 それは、家族でもできることですね。プロじゃなくてもいい。家族の代わりにやっているみたいな感じですね。

中村中村
杉本杉本

杉本 家族でもできることなのに、それがどうして介護福祉士の仕事なんだろうって考えました。学校に通って、何百万円もかけて資格をとったのに意味がないなって。専門職でもなんでもないってことに愕然としました。僕がやりたかったのは、介護の専門性を高めること。一人ひとりに対しての適切なケアの提供ですね。

中村 適切なケアの提供とは、具体的にどういうことでしょうか。

中村中村
杉本杉本

杉本 訴えがあろうがなかろうが、人間は誰でも寝たきりより歩けるようになりたいじゃないですか。どうしたらそれが実現するか?とか薬を飲まないでどう認知症の周辺症状を緩和させるか?とか、いろいろです。最初は誰もやらせてくれなかったんですよ。理由は簡単、面倒くさいからですね。気づけば会議にも呼ばれなくなっていました。

中村 高い意識があるのに職場で弾かれちゃうみたいなことは、人手不足の今は特によくあるでしょうね。合理的に最低限のことをしているのが楽だけど、楽をするとそこまでの人。“勝つ”ことからは遠く離れてきますね。

中村中村
杉本杉本

杉本 夕食のときの空いている時間に、僕は1人で部屋をまわってベッドメイキングをしたんです。「空いている時間におしゃべりするのではなくて、ベッドメイキングやりましょう」みたいな提案したら、会議に参加できなくなったんですよ(笑)。イジメみたいになって困ったなと思って、少しずつ結果を出していく方向に切り替えた。一番近い上司を理解しようとしました。この人がどういうことが好きで、なにをしたいのか。どういうケアだったら認めてもらえるか?って徹底アセスメントしましたね。

中村 対話して理解していけば、認めてもらえそうな提案もできますね。近いところからチャンスが広がっていく。

中村中村
杉本杉本

杉本 小さいことから…任されたことに対して結果を出す。その積み重ねです。その間に1人、2人と仲間を作った。後輩にキャバクラを奢ったりして、人数を増やしていって…気づいたら役職がつきましたね。

中村 僕なんかは、環境に屈してすぐに諦めてしまう方なので参考になります。会社勤めの経験はないですが、結果を出して周囲に認められて上を目指すというのは、介護施設もサラリーマンも変わらないですね。

中村中村
杉本杉本

杉本 役職がついてからどう結果をだしていくかというと、施設長に対してのプレゼンです。資料を作って、こういうケアをしたいと。そうすれば稼働率があがって利益にもなる。それをするために、これだけの投資が必要で…みたいな。資料を作り込んで持っていったら、もう断れないですよね。だって、それを採用することによるマイナス面がないんだから。施設長は収支があがればいいわけだし。

中村 1人でクーデターを起こしていたのが、数名の仲間を作ってテロになって。テロが認められて、政権をとった、みたいな流れですね。

中村中村
杉本杉本

杉本 大きな結果をだしたのは、同じ法人の50名定員のデイサービスの管理者を任されたときですね。8年前、日本で初めて毎日散歩するデイサービスを作りました。天候がいいときに散歩するデイはあっても、僕が作ったデイは雨だろうが雪だろうが、台風だろうが散歩に行くんです。どうしてかというと、雨の日でも僕らは外出しますし、どうして高齢者だけ適温のときしか外出できないのって疑問からですね。

中村 50名定員で毎日散歩するというのはすごいですね。歩けば気分転換はもちろん、ADLは上がりますし。

中村中村
杉本杉本

杉本 1日30名くらいは散歩に行く。それを数値化しました。10メートルから2キロまで30種類くらいのコースを作って、マップを作りました。某さんは100メートルのAコース、某さんは300メートルのBコースみたいな。それぞれの状態に応じて散歩をするわけです。その状態を通所介護計画書で管理しているので、ケアマネからすると、うちのデイに預けると歩けるようになるって評判になるわけです。

中村 歩いた距離を数値化してデータで管理するのですか。それは理想だけど、面倒くさい。

中村中村
杉本杉本

杉本 距離計で測るんですよ。歩く距離を測らないと、数字で結果が見えないじゃないですか。よく「以前より歩行が安定して歩けるようになりました」みたいな報告をケアマネにあげる方は多いんですけど、でもそれでは本当かどうかわからないですよね。うちは数字を全部出したので、100メートルが400メートルになったという報告をした。それって、結果を出したということが明らかじゃないですか。

中村 そこまですると、噂が広がって地域でブランドになりますよね。ケアマネとか関係者だけでなく、家族が近隣に宣伝してくれるみたいな。

中村中村
杉本杉本

杉本 その通りです。「杉本さんのデイに行けば、歩けるようになる」「認知症の症状が緩和する」みたいな。利用者さんの家族が近所に言い回ってくれました。新規の利用者が増えますよね。50名定員で90%台後半の稼働率を維持しましたから、大きな利益もあがっているわけです。

中村 なるほどね。数字が説得力になるのは、当然のこと。一般の会社も介護も変わらない。後半は引き続き「介護で一番になる」秘訣をお聞きできればと思います。

中村中村
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