

取材・文/中村淳彦 撮影/編集部
「怒り」の感情は負の連鎖を生む。職員が苛々していると、患者さんや利用者さんも苛々して悪循環に(光前)
中村 光前さんは看護師として病院に勤めながら、アンガーマネジメント協会のファシリテーターをされています。医療や介護従事者に研修やコーチングをされているとか。アンガーマネジメントとは聞きなれない言葉ですが、どのようなことなのでしょうか。


光前 アンガーマネジメントとは怒りとうまく付き合うための心理トレーニングです。考え方、スキルを身につければ、怒りに振りまわされることもなければ、自分や相手を責めることもなくなります。怒りの感情と上手につきあうための技術ですね。
中村 へー、自分や相手を責めることがなくなる技術があるのですね。それは素晴らしい。介護現場でいえば、高齢者への虐待や離職減に直結しますよね。


光前 1970年代にアメリカで始まったプログロラムで文部科学省が感情理解教育(アンガーマネジメント)という形で推奨して、野村證券や三井物産など大企業が全社研修で取り入れています。現在、アングリーバードという映画が公開されていますが、怒りん坊の鳥がアンガーマネジメントを受講、怒りの感情を勇気にかえてヒーローとして戦っていくという話です。ちなみに全米興行成績は1位の映画です。
中村 光前さんは看護師です。怒りに振りまわされた経験があって、アンガーマネジメントを知ったってことでしょうか。看護師や介護職は命を預かる対人の仕事で、喜びや楽しさもある反面、怒りの感情は誰にでもついてまわります。様々な場面で我慢することも多すぎる。


光前 私は看護師として働いているとき、自分がストレスで話せなくなったことがありました。話そうとすると過換気症候群みたいな状態になって、「あああ…」みたいな。結局、自分自身にストレスを溜めてしまって、自分で自分を攻撃しているという状態でした。
中村 怒りを我慢してしまうタイプだったってことですね。介護や看護現場では、責任感が強くて真面目な女性ほど、ストレスを溜めて壊れていく傾向を感じます。現場の第一線で活躍する能力の高い看護師や介護職が突然壊れてしまうのは混乱するし、日本全体から見ても社会資源の損失。大問題です。


光前 負の連鎖もあります。職員がイライラしていると、患者さんや利用者さんも苛々するし、伝搬して悪循環になる。自分がイライラしていなくても、まわりにいるイライラしている職員の負の影響もあるし。自分が過換気になってから人間の感情に興味をもって、感情やコミュニケーションに関する資格を取ったり、学んだりしました。でも大抵が人間成長学的な話で、自分を高めなきゃいけないという流れ。それは難しいと感じていたところ、アンガーマネジメントを知り、これならわかりやすいし実践できると思いました。
介護現場ではストレスに苦しむ人が多い(中村)
中村 精神的な成長というのは具体性がないし、答えが見えない。一方アンガーマネジメントは、知って実践するだけなのでシンプルでわかりやすいってことですか。介護現場ではストレスに苦しむ人が多い。光前さんは、どうしてストレスが溜まったのでしょう?


光前 状態的には鬱症状みたいな感じ。食事がとれなくなって、話そうとすると過換気になって上手く話せなかったりしました。病院の仕事でのストレスもあったけど、決定打は家庭の事情と重なりました。性格的にストレスを人にぶつけるタイプではなくて、どちらかといえば、人の相談を受けるみたいな立場だった。自分が成長しなければと頑張りすぎていたようでした。
中村 病気にまで精神的に追い込まれるケースは、お金が絡むことがけっこう多い。看護や介護だったら人間関係や仕事のストレスだったら辞めてしまえばいいだけだし、なかなかそこまで追い込まれない。


光前 そうです。実は家の都合で、主人の仕事が大変な時期で、自営業なのでお金の心配もありました。「自分が頑張らなきゃ」「我慢しなきゃ」となって、自分にプレッシャーをかけてストレスを溜めていたのに、それに気づけなかったんです。
中村 でもお金の問題は、お金がないと解決しない。壁にぶつかって悩んで精神病になって働けなくなったら、さらなるドン底になってしまいます。その最悪のケースは誰もが逃れないとならないですね。


光前 私の場合はまわりで話を聞いてくれている人がいて、自分がストレスを溜めていたことに気づいた。そもそもの原因である金銭的な問題の解決は別にして、自分の悩みや本音を家族に話したことによって、すぐに症状は治まりました。
自分の感情を伝えるだけ、感情的に怒りをぶつけちゃうだけでは、なんの解決にならない(光前)
中村 吐きだすことが必要ってことですか。介護現場では愚痴を言うことは、一般的に悪いこととされています。


光前 まず、我慢する状態がストレスです。怒ることはいけないことではない。怒りの感情は自分がなにか大事に思っていることがあって、相手に対するリクエストだったりする。「こういう風にしてほしい」と、自分の想いを伝えたいわけです。それがうまく伝えられなくて我慢となってしまう。
中村 怒りの感情を感情的に相手にぶつけるのと、自分の感情をちゃんと伝えるのでは全然違いますね。なるほど、それがアンガーマネジメントの技術なのですね。


光前 自分の感情を伝えるだけ、感情的に怒りをぶつけちゃうだけでは、なんの解決にならないわけです。解決にならないどころか、問題は悪化します。アンガーマネジメントは自分の思っていることを上手に伝える方法も学びます。「なにに怒りを感じたのか、どうして欲しかったのか把握する」「伝えるときに“私”を主語にする」など、方法があります。
中村 なるほど、主語を変えるということね。相手に伝えるとき「何であなたは約束を守らないの!」と「私はあなたに約束を守ってもらえなくて残念でした」では、相手に対する伝わり方が違いますね。


光前 私を主語にすることで、相手を責めるのではなく、自分の気持ちを伝えることができます。自分がこういう風にストレスを感じていたから、こうして欲しいといえる。単純に文句を言うというのは違うわけです。
自分の思考の癖や価値観など、自分自身を客観視できれば対処しやすくなる(光前)
中村 共稼ぎが当たり前の時代になって、家庭や子育てで仕事の比重の高い女性の負担が著しく大きい。特に介護や看護の現場の女性たちは、家庭と仕事を両立している人が多い。無駄に悩んだり、苦しんだりしてキャパがオーバーすると、仕事と家庭のどちらもうまくいかなくなる。大変なことです。


光前 私は家庭を持ちながらの常勤でした。それは大変だけど、やりがいはある。私を含めて看護とか介護を目指す人は、奉仕したり、人になにかして喜んでもらいたいとか、人のためになることで喜びを感じる人が多い。そういう人はなにか失敗やうまくいかないことがあると、自分で自分を責めたりします。
中村 利用者のため、患者のためという意識が強すぎるのはバランスが悪い。そういう人は自分が一番大切とか、大局的な視点がなかったりする。なにが原因で苦しいのかという答えが見つからずに、自分で自分を壊してしまったりする。


光前 私も具合が悪くなったとき、初めは血圧が下がって調子が悪いのかなって感じだったので職場の医師に診てもらったら、ストレスだよって言われて。「自分はそんなことない、ストレスなんてありません。こんな時間に診てもらって申し訳ありません」みたいな感じでした。結局、主人に自分が思っていることをぶつけられないってことが根本的な原因とわかった。自分が今まで抱えていたものをいろいろ話して解決しましたが、症状自体は2日くらいで落ち着きましたが、ストレスを溜めていたことに気づくまでには時間がかかりましたね。
中村 まあ、人に喜ばれることが好きだからって、過度に頑張っていいことないでしょう。実際に人間的な成長みたいなことを煽る事業所で、精神病の職員が続出している現実もあるし、ますます根本的な原因から遠ざかる。


光前 そうです。頑張りすぎないことは重要です。それまでの私は、なんでも「頑張って」「頑張って」だった。それは間違っているのではと違和感を覚えて、コミュニケーションとか感情にすごく興味を持って学び始めたという感じですね。
中村 具体的になにを学ぶと、頑張らなくていいと思えるのでしょう?


光前 怒りの感情の特性を知ることです。その怒りに対してどうしたら対応できるか。怒りと上手に付き合うことを科学的に知ると、だいぶ変わります。折り合いをつけられる。怒りは二次感情。痛いとか苦しいとか寂しいとか、一次感情がその前に必ずある。それから怒りに発展する。単に怒っているわけじゃなくて、怒る理由があるわけです。
中村 怒りの感情そのものを科学的に知るみたいな機会は、普通ない。道徳の時間に人に迷惑をかけちゃいけないとか、ほとんどの人はそんな程度ですよね。


光前 怒りは二次感情と知ると、怒ったときどうすればいいのかわかる。衝動的にならない方法も学べます。元々怒りやすい人、怒りにくい人もいますが自分の思考の癖とか、価値観など、自分自身を客観視できれば対処しやすくなるわけです。
中村 知識によって自分自身を客観的に、冷静にみれるということですね。その技術を身につければ、少なくとも介護現場から虐待はなくなるだろうし、無駄な人間関係の悪化も減るでしょう。後半も引き続き、アンガーマネジメントについてお話をお聞きします。
