「介護対談」第44回(前編)菅原健介さん「介護事業所が地域を支えるわけでなく、住民の集合体で地域はできている」

「介護対談」第44回(前編)ノンフィクション作家の中村淳彦さんと菅原健介さんの対談菅原健介
株式会社ぐるんとびー代表。大学を卒業し、IT関連の大手広告会社に就職するが、「人と向き合う仕事がしたい」という思いで2年後に退職。理学療法士の取得を目指し、学校に通いながら母親の経営する介護施設で訪問介護の手伝いを始める。資格を取得後は病院内に勤務し、2011年起こった東日本大震災では支援活動を行う。現在、UR都市機構運営の団地内に小規模多機能ホーム「ぐるんとびー駒寄」を運営。団地内に介護施設を開設する新しい試みに着手し、介護を中心に地域自体のあり方を考える取り組みに今後注目が集まる。
中村淳彦中村淳彦
ノンフィクション作家。代表作である「名前のない女たち」(宝島社新書) は劇場映画化される。執筆活動を続けるかたわら、2008年にお泊りデイサービスを運営する事業所を開設するも、2015年3月に譲渡。代表をつとめた法人を解散させる。当時の経験をもとにした「崩壊する介護現場」(ベスト新書)「ルポ 中年童貞」(幻冬舎新書)など介護業界を題材とした著書も多い。貧困層の実態に迫った「貧困とセックス」(イースト新書)に続き、最新刊「絶望の超高齢社会: 介護業界の生き地獄」(小学館新書)が5月31日に発売!

取材・文/中村淳彦 撮影/編集部

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介護事業所が地域を支えるわけでなく、住民の集合体で地域はできている(菅原)

菅原さんは神奈川県藤沢市で、団地の空き室を利用した小規模多機能型居宅介護「ぐるんとびー」を運営され、全国的に注目されています。本当に多くの方が居住する普通の団地ですね。6階の団地のひと部屋を施設にされている。

中村中村
菅原菅原

地域つくりに可能性と絶対にやらなければならない使命感みたいなのを感じて、介護のシステムを使いながら運営しています。団地を利用することで、昔の向こう三軒両隣みたいな関係性は作り戻せるのではないかと思っています。ここは藤沢市大場地域というのですが、高齢化率が市内一高い地域です。

菅原さん自身もこの団地に居住されて、スタッフも続々移住されているとか。

中村中村
菅原菅原

利用者さんに元々の団地の住人は少ない。6階が施設で、5階は僕の自宅。4階に妻の母が住んで、3階と5階と8階に社員寮があります。それと6階に利用者さんとスタッフのルームシェアしている部屋があります。それといろいろな事情で単身の生活が難しくなり引っ越されてきた利用者さんが9人います。

最初に小規模多機能をつくり、菅原さんも含め、それから続々とスタッフや利用者の方が団地に移住したという流れですね。居住地とは違う地域に事業所をつくって、地域から働く人を探すという一般的な介護事業所と反対ですね。

中村中村
菅原菅原

この団地は地域の中では家賃が高めの物件で、団地に社員が移住すれば、会社から補助して家賃は半額にしています。代わりに自治会の仕事に参加してもらっています。全国から集まって来て来年は福岡から1人、それと東京から2人、看護師や理学療法士の引っ越しが決まっています。

個人的にはオンとオフがないと厳しそうという印象もありますが、社員寮を団地の中につくるのはどうしてですか。

中村中村
菅原菅原

僕は団地を小さな村と捉えています。まだまだ一歩を踏みだしたばかりですが、やっぱり介護事業所が地域を支えるわけでなく、住民の集合体で地域はできている。ひとりひとりの住民の意識が変わらないと『困ってたら助け合おうよ!』っていう地域はできない。自分たち住民が楽しく生活するため、どうするべきか。隣近所で困る人がいたら、助けようって空気感が自然と生まれるから安心して生活ができる。介護はそれを支えるいちツールでしかない。一つの事業所が頑張っているだけでは、なにも変わらないですから。

介護はあくまでもセーフティネットで、要介護状態になった高齢者を支える制度。雇用を生む介護事業所というツールを団地の中に持ち込み、地域住民を集めていると。高齢者のお世話をする介護職ではなく、他地域から住民を集めて、介護事業所を軸にして地域をつくっていくってことですか。すごいですね。

中村中村

住民1人1人が地域のために動かないと、まわらない(菅原)

菅原菅原

地域の重要性に気づいたのは、東日本大震災です。ボランティアのコーディネーターとして被災地に入りました。いくら必要な人やモノをつないでも、課題解決はしませんでした。人の欲求は無限。つないでもつないでも終わらない。エンドレスなのと、外から支援するほど、個々の横のつながりが薄くなり、住民が依存的にすらなってしまう感覚になることがありました。

地域住民同士ではなく外部の人間が全面的に頼られて、際限なく要望されたってことですか。その行かれた被災地に地域性がなかった。

中村中村
菅原菅原

こちらも困ってたら何とかしたいって過剰に動いてしまった結果、疲れ切ってしまった。僕自身がコーディネーターとして限界を感じた。精神的にも限界までいって、最終的には立てなくなりました。自分で望んで『誰かの役に立ちたい』と被災地に行っておきながら、もう二度と同じことはやりたくないと感じています。本当に勝手ですが。

精神的に限界がきて立てなくなるとは、もう抑うつ状態ですね。被災地のボランティアの最前線は、支援する側も精神的にギリギリの状態に追い込まれるほど大変なんですね。知りませんでした。

中村中村
菅原菅原

支援者だけが動くのではなく、住民1人1人が地域のために動かないと、まわらないことを知った。個人的には完全にオーバーワークでした。例えば車がないって言われて、車屋さんが出せると。求めている人とマッチングするとき、本当に必要な方たちは電話も通じない状態。誰かが現地に行ってつなぐ。

でも、車屋単独ではそこまでできない。必要なものを調達して届けるまで、さまざまなボランティアや寄付が必要ですね。その中心を担うコーディネートをしていて、ひたすら活動し続けたわけですね。きつそうですね。

中村中村
菅原菅原

最終的には朝起きても、体が起きなくなった。僕は体力には自信があって、1時間くらいの睡眠でも行けるくらいの感覚だったけどダメでした。隣近所のつながり。助け合うとか。被災地の地域にそういうことが圧倒的に足りていなかった。

田舎は地域がまだ生きていると思われがちですが、確かに地域によるかもしれません。田舎でも市街地になると、大規模ショッピングセンターとかができて地域が壊れてしまっている。

中村中村
菅原菅原

これから日本全体に高齢化の波がきて、介護保険も破綻する可能性が高い。このままだと何十年後、あの仕事を地域でもう一度やらなきゃいけないのかって悩みました。だったら先行して、今から地域を作っていかなきゃならないと思った。それで団地に着目して「ぐるんとびー」をはじめました。

団地だと縦と斜めの関係の中でネットワークを築きやすい(菅原)

しかし、自分が壊れるまでボランティアをするとか、僕にはまったく考えられません。ただ、国はこれから社会保障の縮小を決めているので、個人主義的に地域を無視すれば、街が遺体まみれになるみたいなことも想定内です。団地の空き室を利用するという発想は、どうしてでしょうか。

中村中村
菅原菅原

平面の地域だと、隣近所が仲が悪かったり、無理して付き合わないといけなかったりする。でも団地だと隣近所と仲良くなくても、他の階の人と仲がいいとか、横だけじゃなくて、縦と斜めの関係の中でネットワークを築きやすい。それが一番のメリットです。

ぐるんとびーで団地に移住するスタッフには、自治会員になることを条件に補助をだされている。地域をつくっていくことに先駆けて、まず自分が居住する団地のことは考えなければならない。小さなことからだんだんと、という育成システムみたいなものも、勤務時間を超えて生まれている。

中村中村
菅原菅原

自治会として動く中で、平面の地域では地主さんが自治会長になりがちです。その会長が先のことに興味がなかったり、子供や高齢者のことに興味がないと、そこで地域は止まってしまう。話がとまってしまう。マンションや団地の自治会は一般的には若手がいない。そこに入っていくことで、自治会も課題解決に向かいやすくなります。

先ほど、事業所を見学してスタッフたちが高齢者にサービスしすぎじゃないか、とちょっと思いました。高齢者にとって素晴らしいいい施設というのはわかるのですが、世代格差が凄まじいなかで、人員配置も高く、やりすぎではないかと。

中村中村
菅原菅原

僕自身も次世代の子供にパワーをかけるべきだと思います。スタッフたちともいつも話していますが、別に我々は高齢者のわがままを聞くサービスじゃない。高齢者の行き過ぎた要望を聞いて、僕らが疲弊したり、うちのスタッフの子供たちが疲弊するようであれば、やるべきではないと考えています。

介護保険はあくまで高齢者たちが最低限生活するための制度だし、これからさらに縮小となると、バランスが悪いと燃え尽き症候群は激増するだろうし、それは最悪なことです。

中村中村
菅原菅原

人員を筆頭に余力があって、動けるのであれば動けばいいというところでやっています。だから、スタッフたちは全然無理はしていないですね。小規模多機能は包括報酬で、マネジメントによって余力を生みだせるシステムです。マネジメントは僕が得意とするところですから。

ぐるんとびーは常勤11人、非常勤21人がいる。多いです。余力を生みだせるマネジメントとは、他の小規模多機能や通所介護となにが違うのでしょう。

中村中村
菅原菅原

サービス量を『いま生活をするために必要』な状況に合わせていく。最初に手厚く、その後、生活に合わせながらサービスを減らすということを念頭に置いています。また要介護度3以上の利用者が多い。そうすると包括報酬なので売上が他の小規模多機能より高くなる。その売上が高い分を人件費にまわしています。全体の要介護度が下がった場面は、非常勤の方に相談して、出勤数を減らす。そうして人件費で調整します。

地域を巻き込んでいくと、ケアの総量は減っていく(菅原)

包括報酬の小規模多機能は儲からないイメージがありましたが、違うのですね。サービスを減らすマネジメントとは、具体的にどのようなことをされているのでしょうか。

中村中村
菅原菅原

うちは毎日、お昼は地域の飲食店で外食をしています。行きたいところに行く。そうするとその地域の飲食店がだんだんと介護を覚えてくれて、介助もしてくれたりする。そもそもご飯をつくるスタッフもいらない。一般的な介護事業所は500円~800円が昼食代だけど、街のランチの価格と変わらない。価格は同じなのに食事作りからケアもしてくれる。送迎の車に乗せるまで手伝ってくださる人たちも出てきています。

まだまだ一般社会はこれからの超高齢者社会が、どうなっていくのはイメージついていない。要介護高齢者を連れていくことで、地域の飲食店も積極的に高齢者の存在を学んでいるってことですか。

中村中村
菅原菅原

そういう面はあると思います。これから本格的な超高齢社会を迎えることは、みんなわかっている。地域の飲食店も来てくれると、学べるって言ってくれていますね。これからのレストランにはどういうものが必要なのかとか。そうすると、地域にケア職が増えてくるわけです。

なるほど。地域づくりという言葉の意味が、だんだんとわかってきました。高齢者を通して、地域住民を巻き込んでいくわけですね。

中村中村
菅原菅原

認知症になっても障害を背負っても、1人1人の生きがいも支えたいと思っています。今日は利用者さんとスタッフで、プールに行っています。あと、フラダンスに行ったり。

フラダンスに行っているのですか。そもそも地域の高齢者の生きがいを支えるのは、地域の話。認知症になったら地域からいつのまにか消えて、介護施設に通うみたいな流れが一般的ですよね。

中村中村
菅原菅原

フラダンスに行っていた人は、うちの小規模多機能に通ってくるのではなく、フラダンスの教室に行けば、元々の友達や仲間がいる。認知症になったからいけなくなったではなく、教室の仲間や友達に認知症の理解や知識ができてくると、ママのことは大丈夫だからってなるわけです。

アセスメントをとって、高齢者の元々の居場所だった地域のコミュニティーに再びつなげるってことですか。すごいですね。さらに、そのコミュニティーの地域住民に認知症への理解を促すわけですね。

中村中村
菅原菅原

最終的に僕らは送迎だけでよくなります。最初のうちは一緒に行きます。時間をかけてつないでいくと、最終的には送迎だけで我々の仕事は終わる。地域を巻き込んでいくと、ケアの総量は減っていきます。そういうマネジメントですね。

なるほど、目からうろこの話です。後半も画期的な試みを続ける「ぐるんとびー」、地域つくりについてお話をお聞かせください。

中村中村
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