

取材・文/中村淳彦 撮影/編集部
介護は家の外から見えないから、当事者の苦労は誰もわからない(橋中)
中村 橋中さんは認知症の祖母、重度身体障害の母、知的障害の弟の家族3人の介護を21年間続けられ、現在は介護者メンタルケア協会を設立して家族介護に悩む介護者の相談支援の活動をされている。先月初めての著書「がんばらない介護」を上梓されました。


橋中 元々理学療法士で、医療介護の現場で14年間働いていました。病院勤務なので介護については知識があったつもりでも、私自身が介護保険を十分に使い切れていなかったり、疲れ切ってしまったりで様々なことがありました。
中村 僕とたいして変わらない46歳で、21年間も家族の介護を経験するとは。母親はともかく、祖母の介護までするのは厳しいですね。


橋中 母は私が3歳~5歳のときにはアルコール依存症でした。弟が知的障害で生まれて、親族からいろいろとネガティブなことを言われたようです。障害がある子を産んだ自分を責めて、すごく心が病んでいた。私が中学3年のときには、もう台所で寝転がってグチャグチャみたいな状態でした。
中村 子供の頃からお母さんがアルコール依存で連続飲酒状態ですか。アルコール依存は漬物と同じで、一度アルコールに漬かっちゃうと元に戻ることがないとか。厳しい病気です。


橋中 泥酔した母を助けだして、台所を片づけたり。ときには救急車を呼んだりとか。子供の頃からそういう環境でした。それでも3世帯で昔から地域に住んでいる私の家は、外からは普通の平穏家庭に見えたはず。家庭内の苦しさは、外から見えないんですよ。
中村 昔からキッチンドランカー(台所の飲酒者)って言葉があるし、主婦のアルコール依存も実は一般化していると。家族の病気も介護も外から見えないから、キーパーソンの人の苦労が誰もわからないわけですね。当事者になったら苦しいでしょう。


橋中 一人で頑張らなきゃいけない時期がすごく長かった。正直、1人で頑張るのは限界があるし、生きていけないです。母もだんだんと体に障害が出て、一時期は仕事も介護もできたこともあったけど、母が9年前からくも膜下出血になって完全に寝たきりになった。同時期に、家事を手伝ってくれた大正生まれの祖母が認知症になって、限界が訪れました。
私が介護を乗り切れた要因は、職場に助けてと言えたこと、それと介護休業をしっかりと取れたこと(橋中)
中村 急に家族3人全員に介護が必要になってしまった。ただでさえ経済的な大黒柱だったのに、さらに家族の本格的な介護が降りかかってきたと。当時は病院の正規職員だったわけですよね。どうしたのでしょうか。


橋中 祖母が火事を起こしそうになったりと、混乱状態のわけがわからない状態だった真っ最中、病院の上司から「もう特別扱いはできない、これ以上迷惑をかけるのはやめてほしい」って言われました。最近よく言われる介護離職ですね。このままだと本当に人生終わりだと思ったので、上司に家庭の事情と仕事を辞めたくない希望を伝えました。
中村 仕事を辞めてしまったら世帯収入がゼロになるか激減して、介護以前に生活ができなくなってしまう。自宅があるので生活保護も受けられない。八方塞がりですね。


橋中 家計も介護も私1人で家族を支えている状況を必死に話して、そこで初めて上司が状況を理解してくれた。私が介護を乗り切れた大きな要因は、職場に助けてと言えたこと、それと介護休業をしっかりと取れたことでした。
中村 当時の介護休業は1人最大93日でしたから、祖母と母の2人分で186日を取得したわけですね。認知症介護になると長丁場です。とてもその期間では終わらないだろうし、さらに介護休業するともう元のポストに戻れないケースが多いみたいですね。


橋中 私の場合は専門職で病院だったので、介護休業を取れて仕事と介護の両立ができた。これでいけると思いました。でも、次にきたのが自分の体調悪化でした。介護休業と言っても自分が休める休暇ではない。介護をしながら職場に戻るんですから。制度をフルに使っても自分のカラダが保たなくなって、頻繁に風邪をひいたりとか、苛々して母たちを怒鳴ってしまったりとか。
中村 要介護の家族3人を背負って、具体的にどのような生活をしていたのでしょうか。


橋中 午前8時45分から18時くらいまで働いていました。介護は保険をフルに使っていて、家に帰ると寝たきりの母と祖母はデイサービス、弟は作業所から帰ってくる。私は職場が近かったけど、一番の問題は朝の送り出しでした。デイサービスに最初に言われたのは9時半の迎えだった。私が家を出てからの1時間、初めのうちは認知症の祖母が1人でいてくれたからよかったのですけど。
中村 認知症の症状はどんどん進行するから、いずれ1人で留守番はできなくなりますよね。


橋中 そうです。火事を起こしかけたりいろいろあって、このままではまずいと。朝9時半に送り出すことが常勤では難しくなって、今だったら新しく介護休業が変わって3年間、働く時間の短縮とか新しい制度改正があったから対応できるかもしれないけどもう仕事を辞めるしかないかもってなりました。
中村 やっぱりデイサービスの送迎時間がネックなのですね。その時間をつくれなくて、介護離職が起こっている。


橋中 郊外の人だったら家を7時とかに出ると思う。そうすると朝の2時間、認知症の家族が1人で留守番できるかというのは大問題。困って本当に辞めなくてはダメかなとなって、常勤を辞めて非常勤になりました。仕事を続けるために、正規職員を辞めた感じです。
施設が足りないからとか、それだけじゃない悩みがたくさんあった(橋中)
中村 繰り返すけど、専門職の橋中さんは、職種的には恵まれている方のはず。普通の会社なら代わりに誰かが仕事を背負わなくてはならないわけで、誰かに介護休業されたら困るし、時間の融通は利かない。家族介護の当事者は、辞めざるを得ない環境に追い詰められるわけですね。


橋中 病院でも初めてのケースだったようで、まず職場に理解してもらうことはすごく難しい。時間のことは、現行制度だけでは解決できない。それでブログを始めて、「イレギュラーな対応が必要なんです」とか発信しました。そうしたら、家族を介護している人から相談がガンガン来るようになって、すぐに500件以上の相談が舞い込んだ。みんな同じことに悩んでいたってことです。
中村 著書「がんばらない介護」は1人で悩まないで地域包括センターやケアマネに相談するとか、入浴介助は重労働とか、かなり基本的なことから書かれています。介護は急にくるので、本当に何も知らない人が多いってことですね。


橋中 仕事と介護を両立する中でたくさんの相談が来て、自分自身の情報収集にもなると思って相談に返信するようになりました。家族介護する当事者の様々な悩みを聞いて、一般に言われている施設が足りないからとか、それだけじゃない悩みがたくさんあった。メンタルケアってわかりやすく出しているけど、ほとんどは助けてって言っていない人がほとんどです。
中村 家族の苦しさは外からは見えない。外の人たちは何が困っているかわからない状況で、急に介護が降りかかってきた家族は介護や制度のことは何も知らないという状況ですね。


橋中 多くの人は、誰にも相談していない。誰に相談していいかもわからないわけです。だからケアマネとか行政にこういう風に伝えたらいいですよとか、ケアマネにはこう話した方がいいとか。コミュニケーションの部分を個別に伝えました。
中村 多くのケアマネが気付くことができないってことか。突然家族が要介護状態になって、介護の経験がない家族にはさらに慎重に対応した方が良いということですね。


橋中 すごく難しいところで、双方にいろんな課題がある。優秀なケアマネさんはたくさんいる。でも、確かにハンコだけの人もいる。介護を知らない家族は「ケアマネは要介護者のための人だから、家族の私が相談しちゃいけない」と思っていたり。あとトイレの問題をすごく悩んでいるけど、家族に恥ずかしい思いをさせたくないから言えないとか。
中村 一番重要なことを、ケアマネに言っていなかったりするのですね。介護現場の人は介護には慣れているから、まさかそういう気遣いがあるとは思わないか。情報を聞き出せなかったら適切なプランにはならないですね。


橋中 先日はクッションが欲しいっていう問い合わせがあった。聞いてみると急性期病院から、療養型病院に移ったとき、前の病院で使っていたクッションが移転先にないのだと。本来ならば看護師さんに相談すべきこと。でも、みんなが忙しすぎて言えないって。
中村 家族介護者の抱える声が、介護の現場に行っていないわけですね。介護者は言えていないし、介護側は聞けていない。家族のことは見えないので、察することもできないと。


橋中 介護者たちの多くは頑張っているので、困っているように見えない。私はリハスタッフで例えば50代のお父さんが病気になったとき、大学生くらいの息子さんが付き添いで来たりする。多くの職員は「親孝行な息子さんだね」っていう。でも私にしたら、若い男の子が平日の木曜日に毎朝来ることが違和感。彼はどうしているのって。そういうことを、ほとんどの人は疑問に思わないのです。
「ババ抜き」にならないために、なにか解決策を見つけないといけない(橋中)
中村 もう、介護の実態はババ抜き状態です。僕は時間に融通の効くお泊りデイを経験しているけど、家族の要望を個別に聞くレスパイトケアをすると、家族は助かるけど介護職は朝から晩まで長時間労働になる。それで介護職は、短いスパンで普通に壊れる。家族の代わりに介護職が、自分の時間を潰して背負って潰れるわけです。正直、最悪な状況です。


橋中 そうか、働く人もそうなるのか。介護現場の方々がきついのはわかります。しかも、利益が高くなるわけではないし。もう介護を取り巻く様々なことが破綻しているわけですね。
中村 この橋中さんが唱える「頑張らない介護」は家族だけでなく、介護職にもまったく同じことが言える。素晴らしいタイトルです。もうね、高齢者には最低限の介護でいいと思う。利用者ではなくお客様とか、顧客満足度アップとか、自分らしく生きるとか、そういう話は本当にうんざりする。


橋中 今は介護にメリットがどこにも生まれてないから混乱するのでしょうね。でも、介護することで私もよいことはありました。戦争を生き抜いた大正生まれのおばあちゃんの話が面白かったし。認知症になってからは、私のことを孫か自分の妹かわからなくなっていたけど、会話上手だったり、笑わそうとしたり。落語みたいだなと思いましたね。
中村 おばあちゃんの社交性が高くて、面白い部分もあったので自暴自棄にならずに済んだわけですね。


橋中 確かに大変なことばかりだったけど、私は振り返って面白かったと思う。介護職員さんも限界、家族が無理するのも限界。だから、さっき中村さんがおっしゃった「ババ抜き」にならないために、なにか解決策を見つけないといけないってことですね。
中村 本当にそうです。要介護者600万人、それぞれに家族がいるのに、介護職はたったの150万人。みんな限界に近い状態になっていると思います。後半も引き続きお願いします。
